相続小ネタ集8. 戸籍で見る家族観の変遷。

|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。



 今日は軽めに専門的な話題を、まずは戸籍の歴史からおさらい。


庚午年籍(こうごねんじゃく)・・・西暦670年。主に徴兵のネタにするための台帳として。


庚寅年藉(こういんねんじゃく)・・・西暦690年。徴兵からさらに徴税の目的も追加。


太閤検地・・・西暦1591年あたりから。秀吉が太閤を名乗る以前のものも含む。どちらかというと農地の登記簿のような位置づけですが、所有・管理する農民の名が紐づけされるなど、戸籍的な一面も有った。


宗門人別改帳・・・江戸期。もともとは隠れキリシタン取り締まりが目的だったとか。


壬申戸籍・・・明治5年の戸籍法。明治19年式・・・31年式と進化。


現行の戸籍・・・昭和23年。平成15年に戸籍の改製。今の横書きタイプ字打ちスタイルの戸籍謄本になる。


極めてざっくり言うとこんな感じになります。



 そんなこんなで、何処から何が違って来るのかと言えば、やはり昭和23年式(1948年)からでしょうか? ご存知の通り敗戦に始まり、大日本帝国憲法から日本国憲法へ。それに伴って民法の改正。当然のこと家族法も民法の一ジャンルですから改正されています。
 旧戸籍の場合はまず「戸主」が先頭に来て妻、長男、次男、長女、弟、甥、姪など。戸主から見た続柄がズラリ。一家の中に複数の家族が記載されることも。サザエさん一家で言えば、「磯野家」と「フグタ家」がいっしょくたに記載されているようなイメージです。
 そして、子が妻を娶って独立した暁には「分家」でその戸籍から除籍となり、戸主として新戸籍が編成されるという寸法です。


 これが戦後の新戸籍になると「戸主」という表現が「筆頭者」に変わります。家督相続という考え方が公式にはなくなって、時代は「家」から「個人」へと変わったという事です。家族観と価値観の変遷がここで伺い知れます。筆頭者には大体の場合お父さんが来て、妻、長女、長男など。いずれも一長一短ですが・・・。一族の全体像を把握する際は、人数がたくさん載っている旧戸籍の方が便利という側面もありますが、いかんせん毛筆縦書き。年号の記載も「明治参拾参年拾弐月」など・・・・・・(-ω-;)ウーン。読みにくい。



 最後に、「家」って意識はもう薄れて来て、完全に駆逐されたかと言えばそうでもありませんね。例えば結婚式とかいまだに「〇〇家・△△家結婚披露宴」だったり、お墓も「〇〇家代々之墓」だったり。いまだに意識の底の方では家意識は健在なんですね。




ほなまた! 失礼!
|彡. サッ!!