FP3級の問題を解いてみます? 26.遺族年金って?

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  ある日配偶者に先立たれた・・・その後の生活に不安が残ってしまいますね。そんな時に受給できる「遺族基礎年金」というものがあります。



 では、本日の一問一答です(/・ω・)/~~


Q:遺族基礎年金が支給されるのは、死亡した国民年金の被保険者に生計を頼っていた配偶者または子である。



A:✕

 すべての配偶者が貰えるわけではありません。というのも条件が課されています。ただの配偶者ではなく「子の有る配偶者」となります。そして子です。さらに、経済的に自立しているケースでは支給されません。ゆえに扶養の範囲内で働くという行為は、こういう所でも有効性を発揮していると言えるでしょう。簡単に言えば「は?遺族年金?・・・いや、ひとりでちゃんとやって行けるでしょ」ということですね。
 



参考:日本年金機構HP




うーん。なかなか世知辛い感じもしますが・・・

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相続小ネタ集 58.アパート経営はどう引き継ぐ? ②

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 ・・・前回のストーリーを軽くおさらいしてみましょう。



”さて、長い協議の末にこのような形でようやく話が付きました。じつに故人のお亡くなりから10か月かかってしまいました。・・・実はその間、大型の台風で飛来物によって、壁の一部が陥没、修理したという出来事がありました。そして妹は言います。
「アパートはお兄ちゃんのものだから・・・修理代は私関係ないからね!」”

さて、このお話の行方は?? 



 結論から言うと、妹さんは修理代から逃れることは出来ません。というのも、故人のお亡くなりから、アパートの帰趨が決するまでに10ヶ月のブランクがありますね。遺産分割の決着が着くまでは、兄と妹の共有となりますから、その間に生じた修繕などの費用は分担して負担することになります。


 ただし、ふたりの間で「家賃収入はお兄ちゃんがゴッソリ持って行っていいからね」という話になっていた場合はどうでしょう。ここはもう基本的に当事者の話し合いになりますが、妹としては「修理代出せって言うなら出すけど・・・今まで入ってた家賃収入の半分をちょうだい。でなきゃ出さないよ」と主張することは出来ます。

 分割協議に没頭している間は、あくまでも法定相続割合に基づいた共有になる・・・この事は念頭に置いておいたほうが無難と言えるでしょう。



不動産の扱い・・・とくに収益物件はややこしいですね😎


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新たな価値観の時代・・・きょうび総合職なんて流行らない?

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 ・・・昨今つよく思うことと言えば「古い価値観と新しい価値観のせめぎ合い」これです。昔ながらの地位、出世、肩書、資産額、その他もろもろの目に見えるものを有難がる頑固な勢力が、最後の抵抗を試みている。そんな感すらあります。どうやらその見立ては、労働の現場にも当てはまるようでして・・・



参考:「転勤するくらいなら退職したいです」総合職を避ける若者たち…年収と昇進以外の“本当の価値”とは

 あちこち転勤するたびに格が上がっていく、それに伴って貯金も増えて家族も増えて・・・。従来の勤め人の典型的な栄達パターンですが、そんな考え方がもう通用しなくなってきている。古い勢力の人から見ると「不思議ちゃん」が増殖しています。
 精神を病むような長時間労働や過重労働に晒されてでも偉くなりたいか? 金持ちになりたいか? こう聞かれて堂々と「ノー!」と答えられる人が増えてきていますね。


 こういったことを、あえて理解しようともせず、否定から入りたがるのが既得権益層、つまり旧勢力の特徴とも言えますが、もう止められないところまで来ている流れではないかと思います。土俵をわってしまうのも時間の問題と言えるでしょう。


 このような動きは2020年あたりから加速してきたように感じます。物質的な幸福から、違う形の幸福を求める人が多くなって来た。そうなると、これまでの価値観で成功者と見做されていた層は困ってしまいます。だから、否定したり抵抗したり・・・こうなるわけですね。



そう考えると、結構おもしろい時代に生きているのかもしれませんね😎

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『老子』を読み返してみた・・・49.無心の統治者

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 今回は為政者のあるべき姿に言及した章になります・・・こう言うと、図らずも思い出してしまうのは国内外のあの人にこの人。とりわけ気になるのは、やはり国内の方でしょうか。何といっても、直接的なかかわりが一番強いわけですから。さて、老子の描く理想の統治者とは?

 



『老子』第49章
聖人恒無心、以百姓之心為心。善者善之、不全者亦善之、得善也。


聖人は恒に無心、百姓の心を以って心となす。善なる者は之を善とし、不善なる者もまた善とすれば、善を得る也。


訳:聖人はつねに無心である。民衆の心を我が心とする。善は善として、また不善も善として受け入れる。だからいつも善を体現している。



 民の心を我が心とする・・・これの出来ていない人のなんと多すぎることか。嘆きたい気持ちにもなります。人の心がわからない者にはやはり任せられません。


 しかし、驚くのは不善・・・これは不道徳や法違反をただちに指す意味ではないと思います。一般的に考えて「ぶっとんだ思考」すら受け入れて、それもまたよし。そういう態度を示したものと解するべきでしょう。

 もっと言うなら、為政者自身の考えと相容れないものも、それもまた有りかもと受け入れる。そういう度量を持てということだと思います。



 自身の考えの偏りはないか・・・そういう内省もなし。反対意見はとにかく潰す。そういう姿勢に固執していては、確かに大成はなさそうですね。大成がないだけならまだしも、不幸な方向へ皆を道連れ。為政者の場合はそれがあり得るだけに、なんとも怖い章でもあると思います。



やれやれですね・・・



参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年

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