気にするなという方が無理なんだけど・・・
|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。
元日早々の震災からはや一週間が経過しましたが、2・3日前でしたかこんな記事を発見していました。
大惨事映像が招く「共感疲労」 高齢者は注意 子供はハグして
東日本大震災。津波の映像の数々、あれはかなりエグかったですね。そういうのを見過ぎて心に変調をきたしてしまう人が続出してしまったのか、いつの頃からかTVの画面には「衝撃的な映像を含みます」みたいな注意書きのテロップが添付されるようになりました。
この心に変調をきたしてしまう・・・という事象に名前をつけてみたのが「共感疲労」こんな感じの理解でいいかなと思いますが、これって、多分日本人特有のものじゃないかな? とも思うのです。
おっとっと。特有なんて言い方は語弊があるかも知れません。他国の人々にも同様な傾向はあるでしょうから。特に日本人はその傾向が強いのではないかと言い換えましょう。やっぱり・・・日々の暮らしのちょっとした事にも季節を感じたり、雅を発見したり。そういう感受性の強い人々が多いのが日本人で、そういう精神を17文字にギュッと押し込めば「俳句」という芸術が完成するわけです。
この能力は広く世界に誇っていいものだと思いますが、逆にネガティブな作用を及ぼすこともある・・・それが恐らく共感疲労なのでしょう。こういう非常時にはむしろ「鈍感野郎」の方が強い。という事も言えるかも知れません。
そして、これも毎回思う事なのですが、この共感疲労のようなものに対して、無言の同調圧力みたいなものも日本人同士のなかで掛かってくる。これが一番つらいところかも知れません。幸せな人は幸せでいいじゃないか? SNSでそういう趣旨の発言をする著名人も居るようです。だから幸せを少しばかりお裾分け。それでも足りない、体力と時間が有り余ってる。そういう人は直接被災地に労務を提供しに行けばいいし・・・。向こうの迷惑にならない範囲で。シンプルにそう考えるようにしたいな・・・と思います。
支援物資に名を借りて、古着とかの不要物を送り付ける人が出て来ないことを祈りつつ。
このクソ寒いのに古着の夏物を送ったりね・・・。阪神淡路大震災の時に実際にあったそうです(ソースは私の知り合いの先生が執筆する某ブログです)
ほなまた! 失礼!
|彡. サッ!!