相続小ネタ集 13.たわけた話(その弐)

|ω・) ソーッ・・・  皆さん、ご機嫌よろしゅうに。



 さて、今日はこちらのネタの続きとなります。


 前回触れたように、戦後になるまで綿々と、例えば長男などが家を継ぐ家督相続が続いてきましたが、大名家でも見られるように、領地の一部を次男以降の者たちに割いて分家を作るという動きもありました。尾張徳川家、水戸、紀州徳川家・・・浅野家なんかも分家がありますね。ところが、農民クラスでも同じようなことがあり、これが前回紹介して「田分け」です。


 さて・・・この田分けの結果、どのような形で令和の子孫に迷惑を掛けているかというところなのですが。


例えば、元禄9年現在、農民・山田作太郎保有の田んぼ4町歩・・・


・元禄11年に長男・田吾作が家督相続・・・3町
次男・道楽助・・・1町という形で分割。


・文久3年
道楽助の子孫がさらに分割
子孫A0.5町
子孫B0.5町


 その後、明治に入ってから道楽助の家系が全然違う遠隔地に移動。連絡は途絶。いまもどこかで細々と家が続いているかも知れない状況に。0.5+0.5=1町の田んぼを田吾作子孫が預かり、相続や登記の手続きをしないまま代々耕作を継続・・・現在に至る。
 この場合、道楽助子孫のそれぞれ枝分かれしたAとBの系統が田んぼの権利を保有したまま行方不明です。やれ相続した土地の登記をちゃんとやれ! というご時世になって参りました。ところが、この状態だと、行方不明のA・Bの系統を探し出して相続させるか、放棄させるかしなければなりません。



そんなの、いまさらどないせっちゅーねん!! 
ヽ(`Д´#)ノ ガオー!
・・・となってしまいますね。


だから家督相続・・・できるだけ長男を中心とした戸主、昔風に言えば家長のもとに集約させておく。綿々と続く古人の知恵だったとも言えます。しかしお気の毒な田吾作さんの子孫たち、何かいい方法はないものでしょうか? 気が向いた頃にまた続編が書けたらな・・・と思います。 



ほなまた! 失礼!
|彡. サッ!!