相続?なにそれ、おいしいの?・・・5.犬神佐兵衛の遺言はいつ書かれたのか?

|ω・) ソーッ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。




「相続?なにそれ、おいしいの?」第五弾となります。


 そういえば、過去の記事でこんな事を申し上げていましたね。↓
「昭和二十三年以降であれば、事業を含む家の財産もひっくるめた上での遺留分という制度が発効しているので、結構たくさん貰えるはずです。リスクを冒して殺人に手を染める理由がちょっと弱くなってしまうんですね。」  ↓




 実はこれ、ちょっとした伏線だったのです。「日本国憲法施行に伴う民法の応急措置に関する件」が発効したのは昭和22年5月3日でした・・・・・・・・・・・・。ということは? 昭和2X年2月に没した、犬神佐兵衛が遺言書を書いたのがどのタイミングであったか?
 佐兵衛の死亡自体は昭和22年もしくは21年の2月なのか、昭和23年以降の2月なのかもよくわからない。しかし、佐兵衛の遺言は佐清君の復員を待って公開されるものとなっていました。ということは、遺言の作成日は、昭和20年8月15日の終戦以降と考えるのが一番自然です。佐清君が一応生存しているのが判明していますから。それも、終戦から数か月経過した頃でしょうか。先の不透明感は払拭できませんが、少なくとも、ここから先は戦闘で命を落とす可能性は消えますので、この段階で、佐兵衛は遺言書を書く気になったのでしょう。


 ただ、仮に佐兵衛が昭和23年2月に死亡したと考えるなら、終戦から復員まで少なくとも二年半の歳月が過ぎることになります。いかに戦後の混乱期とは言え、戦地引き揚げにそんなに時間がかかるものなのでしょうか? 正直よくわかりませんが、もしかして、佐兵衛の遺言は、鍵となる昭和22年5月3日以前に書かれたものと考えたほうがいいのかな?
 だとすると一転、新法ではなく旧法の規定が適用されるので、遺留分は少ないままということになります。ということは、殺人の動機は弱くなりませんね。でもなぁ・・・本当のところはよくわからないままです。


 ひょっとしたら連合軍の管理下に置かれ、ビルマで長い抑留生活を送っていたかも知れないし・・・。佐兵衛としては、とことんギリギリまで粘った末に、もう埒が開かない。そんな気持ちになってやっと遺言を書く気になった。しかし鍵となる昭和22年5月3日は過ぎてしまっていた。ゆえに新法が適用・・・。つまり逆の可能性もあるってことですね。
 いろいろ考えても大勢にはあまり影響なしと思われますので、これ以上深追いしない方がいいかも知れません・・・。新法・旧法が入り乱れる時代が舞台なだけに、いかようにも解釈できるよう、原作者あるいは編集者が工夫をした結果の昭和2X年でしょうから、それを尊重するしか無いようです。




 一方、物語の方は佐兵衛が死亡し、その数か月後へと飛びます。若林という男の依頼で、信州に金田一がのりこみますが、若林は毒殺されてしまいます。彼は犬神家の顧問弁護士・古舘の助手でした。古舘は若林に成り代わって金田一の依頼人となりましたが・・・
横溝正史『犬神家の一族』KADOKAWAより
・・・「実はそれについて、あなたともご相談しようと思ってあがったのですが・・・・・・実は犬神佐兵衛翁の遺言状ですがね・・・・・・」
・・・「その遺言状は私の事務所の金庫のなかにしまってあるんですが、昨日、若林君のことがあってから、なんとなく胸騒ぎがしたものですから、金庫をしらべてみたところ、その遺言状が、だれかに読まれたらしい気配があるんです」・・・「犬神家の一族 金田一耕助ファイル 5」 横溝 正史[角川文庫] - KADOKAWA



 そうこうしているうちに佐清が博多港に復員してきました。しかし信州・那須に帰って来たのは二週間後。その間、東京の別荘に滞在していたようですが・・・。いったい何をしていたのでしょうか?
 いよいよ遺言状が犬神家の屋敷で公開されることになります。顧問弁護士・古舘の依頼人という立場で、遺言の公開に同席を許された金田一でしたが・・・・・・。つづきは次回。




ほなまた!失礼!
|彡. サッ!!