震災仮設住宅と人口動態
|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。
能登半島地震のその後、救出作業も復旧作業も進まずの状況でやや早計かも知れませんが、この後仮設住宅のようなものが各地に作られ、とくに輪島地域など被害の酷かったところの方々は別の地域に建てられた仮設に移動。泣く泣く住み慣れた場所を離れるということもあるかもしれません。
この状況は東日本大震災でも同じですが、それよりも前の阪神淡路大震災もそうでした。あの時は不思議なことに、明石海峡を挟んで西か東かでくっきりと明暗が分れてしまいました。東にあたる神戸や西宮などの被害状況はご存じのとおり非常に酷く、阪神高速道路も倒れたりしていましたが、西にあたる明石・姫路など、結構揺れるには揺れましたが、東ほどには被害もなく、倒壊家屋もほとんど無かったと記憶しています。
我が家の被害も風呂場のタイルに亀裂が走ったぐらい。流石に、ちょっと東の明石に近いところに住んでいた友人宅は二階のベランダが落ちたそうですが、建物そのものはびくともしていませんでした。
そういう事もあって、震災後その西の地域に、プレハブの仮設住宅団地のようなものが作られ、多くの神戸市民が移動して来ました。我が街の人口も、その年だけで二万人増加しています。そしてその後どうなったか?
どうしても神戸に帰りたい、帰れる目途が立った世帯から一つまた一つと仮設から抜けていき、10年(もっと短かったかも)ほどで仮設は取り壊し。震災時は何もなく、ほとんど農地か空き地だった駅北のエリアに出来た仮設住宅団地ですが、その後更地に戻されて再開発。すっかり小ざっぱりとした駅近エリアに生まれ変わりました。
災害が切っ掛けで未開発の荒れた駅北エリアが整備されたという皮肉な現実です。肝心の人口ですが、震災の起きた95年に一挙に二万人増。その後横ばい状態をキープしていましたが、最近の大都市集中には抗えず徐々に減らしている状況です。
この人口の動きを見る限り、長い間横ばいだった=神戸から来た人はあまり帰っていない、という公式が見て取れます。電車で40分もあれば神戸に行けるという条件も有ったのでしょう。
「住めば都」が多数派なのか、経済力が追い付かず泣く泣く定着なのかはよくわかりませんが、やはり大きな災害が人口動態に与える影響は否定できないようです。別に神戸の例を上げなくても東北の例を見ればわかりますか。
ただでさえ過疎化の状態のなか、頑張って賑わいをキープしてきた朝市の再開は出来るのか。賑わいを取り戻すことは出来るのか。建物の立て直しはそうそう難しい事ではありませんが、これが復興の鍵になる。
陳腐ですが、似た言葉でも復旧と復興は違うんだよ・・・そういう意味で言えば神戸の復興も結局100%ではなかったな。その証拠に我が街にまだ結構残ってるじゃない。と思う今日この頃です。
ほなまた! 失礼!
|彡. サッ!!