『老子』を読み返してみた・・・14.無状の状

|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。



 『老子』の14章です。


是謂無状之状、無物之象。是謂恍惚。
これを無状の状、無物の象と謂う。これを恍惚と謂う。


訳:形のない形、姿のない姿ともいえるし「おぼろ」な状態といってもよい。



 自然(世の中)の摂理を『老子』ではよく「道」と呼びますが、その「道」の正体について言及した章です。章の並びで第1章から何章までは「為政者の在り方について」などと言った風に、体系や目次的なものがあるわけでもなく、章によってテーマがバラバラなのが特徴です。


 恍惚といえば・・・『恍惚の人』なんて小説もありましたね。まさにあの状態で、混沌としたというか、漠としたというか、そんな状態ですね。訳では「おぼろ」と表現しています。姿かたちの見えない摂理によって、世の中は運んでいる・・・そういうことになりますが。さて、昨今はどうなんでしょう? 我こそは摂理だ!と言わんばかりの言動の目立つ人ばかりですね。
 その最たるものは、最近実施された都知事選にも出てましたっけ?? 神的なもの? 自然の摂理? もっと卑近に例えれば、世の道理? 無謀にもそういうものに挑戦状を叩きつけるような、なんともおこがましい人種、どこの国にも居るものです。 




参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年




ほなまた! 失礼
|彡. サッ!!