『老子』を読み返してみた(ファイナル)・・・81.不争の道
|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。
『老子』全81章の最終回です。ここまで長かったですね。最後は聖人に例えた人の道。生き方についての理想像で締めくくられています。
『老子』第81章
信言不美、美言不信。知者不博、博者不知。善者不多、多者不善。・・・中略・・・人之道、為而弗争。
信言は美ならず、美言は信ならず。知る者は博(ひろ)からず、博き者は知らず。善なる者は多からず、多き者は善ならず。・・・中略・・・人の道は、為して争わず。
訳:真実の言葉は飾りが無い。飾りのある言葉は真実でない。明知の者は物知りでなく、物知りは明知の者ではない。善き者は多弁でなく、多弁の者は善き者ではない。・・・中略・・・聖人は人と争わず、ただひたすら人の為に尽くす。
空虚に響く美辞麗句、知ったかぶりの似非知識人、正義ぶった偽善者、悪い奴ほどよくしゃべる・・・・・・そういったところでしょうか。テレビをつければ、あるいは新聞を読めば、毎日毎日このような輩に溢れています。このあたりは老子の時代からまったく進歩がないようですね。
この章では、善い者と悪しき者を見分ける鑑識眼を身につけるヒントを教えてくれています。そして、真の善なる者、つまり聖人はひたすら実践。実の無い言い争いや議論はそっちのけでひたすら実践です。まさに往年のCM・・・「男は黙ってサッポロビール」じゃないですか。
往々にしてこういう人は「不器用」と総称される事が多い気もします。不器用と言えば健さん? そして思い出すのは往年のあの名曲「時代おくれ」 目立たぬようにはしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず・・・偉い人を目指さなくてもいい。老子の結論はこうなのでしょうか?
・・・なんだかんだ言いつつ、昭和の人が一番わかってるんじゃないですか😎
参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年

ほなまた! 失礼!
|彡. サッ!!

