『老子』を読み返してみた・・・33.知者と強者って?
|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。
今回も「指導者の有り様」について言及した章になります。ただ、為政者などに向けたというよりも、一般ピープルにも十分に有用な、人生の心構えを説いたと考えてもいいでしょう。現状アホな指導者層ばかりですから、我々のような下々が強く賢くならなきゃ、何も始まらないだろう・・・そういう事ですね😎
『老子』第33章
知人者、智也。自知者、明也。勝人者、有力也。自勝者、強也。
人を知る者は、智なり。自ら知る者は、明なり。人に勝つ者は、力有り。自ら勝つ者は、強し。
訳:他人を知る者はせいぜい智者に過ぎない。自分を知る者こそ明知の人である。人に勝つ者は、せいぜい力が有る程度に過ぎない。自分に勝つ者こそ真の強者である。
・・・この章では「智」よりも「知」を上位と位置付けていますね。下司な考えだと画数の多い「智」のほうが上位なんじゃ?と思ってしまいがちですが。『孫子』の兵法にも「敵を知り己を知れば・・・」と言っています。
実は自分というものこそ、つかみどころがないものはない。そういう風には言えると思います。内省という行為を忘れてはいけない。そんな戒めを説いた章であるように感じますね。しかし・・・その心は「他人様の事は置いといて、貴方自身はどうなの?」という事でもあるのかなと。
たしかに、私が思うに・・・他人のアンフェアな行いを必要以上になじる傾向のある人って、案外と「自分が得をするアンフェアは大歓迎」 そんな人が多いような気もします。
老子の爪の垢を煎じて飲ませたい人は山ほど居ますが・・・。おっと!こういう思考そのものを戒めているんだっけ。
参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年
ほなまた! 失礼!
|彡. サッ!!