『老子』を読み返してみた・・・11.無の効用
|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。
『老子』を読んでみようの11回目となります。
第11章
鑿戸牖。当其無、有室之用也。故有之以為利、無之以為用。
戸牖(こゆう)を鑿(うが)つ。その無に当たりて、室の用あり。故に有を以って利を為すは、無の以って用を為せばなり。
戸や窓をくりぬいて部屋をつくる。中が空っぽであるから部屋として使える。ゆえに、有が役立つのは、その裏に無の働きがあるからだ。
これも逆説的ですね。たしかに、ゴミ屋敷のごとく部屋がモノでいっぱいであれば、部屋としての機能は果たせません。そんなことは言ってないか? 空っぽだから入れ物として使えるわけであって、何かがつまっているのはそれ以前の問題。だからさっさと片づけなさい! そういうことなんでしょうか?
でも、何を片付けるんでしょうかね? 煩悩? それともしょうもない無駄知識? 入れ物に例えるのはいったん置いといて・・・たとえば、無用の長物と思われがちなモノも意外なところで役にたったりするもんです。
世俗的に、または効率重視的に要らん! ポイ! することへの戒めと考えてもよさそうですが・・・あんまり溜め込んでもゴミ屋敷ですかれね。難しいですね。
参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年
ほなまた! 失礼
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