『老子』を読み返してみた・・・25.人間の小ささよ
|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。
今回は『老子』の25章です。今日は「道」とはなにか? 世界観あるいは宇宙観そういった感じの章になります。
『老子』第25章
人法地、地法天、天法道、道法自然。
人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。
訳
人間は大地を規範として生き、地は天を規範として生き、天は道を規範として生きている。しかし、道は他の何物も規範とせず、それ自身を規範として存在する。
・・・世界の最高規範であるものは「道」であり、それはすなわち「自然」であると言います。この「自然」というのは、宇宙に読み替えることが出来るでしょう。偉大な天地と言えど、それは「自然」という上位の存在に依拠しているし、ましてや人間など・・・。
非常に大きい世界観ですね。『老子』には、いくつも人間世界のちっぽけさを強調する章がありますが、この25章もそのひとつです。
くれぐれも、万物の霊長などと思いあがっていてはいけない。所詮は自然のほんのちっぽけな一部分。宇宙のほんのちっぽけな一部分・・・そう考えると、何だか日々の悩み事がなんとなく馬鹿馬鹿しくも思えてきますね。
こんな壮大な観念を生み出した古代中国人の精神性を、我々も見習うべきかも知れませんし、拝金主義がはびこる現代の中国人も、この境地に立ち返っていくべきでしょう。
参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年
ほなまた! 失礼
|彡. サッ!!