『老子』を読み返してみた・・・19.文明を捨てれば?


|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。



 今回は『老子』の19章です。全編を通して逆説的な表現が多いため、読む人によって解釈の揺れが出て来るのが、この書物の面白いところです。




『老子』第19章
絶聖棄智、民利百倍。絶仁棄義、民復孝慈。絶巧棄利、盗賊無有。


聖を絶ち智を棄つれば、民利百倍す。仁を絶ち義を棄つれば、民、孝慈に復す。巧を絶ち利を棄つれば、盗賊有ること無し。


訳:才知をひけらかさなければ、民の生活は安定する。仁義を振りかざさなければ、民は道徳を取り戻す。利益の追求に走らなければ、盗みをはたらく者がいなくなる。




 才知や仁義、ひとまとめにするとこれはつまり「文明」というもの。これは言い換えれば「悪知恵」とも言えるもので、例えば某コンビニチェーンの上げ底弁当、寄せ寄せサンドイッチにこっそり減量といったステルス値上げ・・・つい思い出してしまいましたが。たしかに、利益の追求に走らなければ、客を小馬鹿にした商売も存在するはずがありません。


 そもそも人類を幸福にすべき文明が、人類を不幸にしているという逆作用は思い当たる節がいくらでも出て来ます。さらに才知=学歴と読み替えると、もっとわかりやすくなりますね。行き過ぎた教育熱。貧困による学習の格差・・・ひいては親ガチャなどという言葉まで出て来る始末。



やがて、民から道徳が失われ現在に至る?・・・そういや、民度が高い日本人ってもう昔話なんじゃね? いろいろ思い当たりすぎてヤバいですね。文明を捨てる? それは未開の状態に戻るってことか? 必ずしもそうでないのは、理解して頂けたでしょうか?





参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年




ほなまた! 失礼
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