『老子』を読み返してみた・・・13.何を言われても
|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。
『老子』を読み返してみた、第13章です。
何謂寵辱若驚。寵之為下也、得之若驚、失之若驚。是謂寵辱若驚。
何をか寵辱驚くが若しと謂う。寵の下たるや、これを得ては驚くが若く、これを失いては驚くが若し。これを寵辱驚くが若しと謂う。(驚く・・・いましめるの意)
訳:なぜ、賞賛されても批判されてもわが心をいましめるのか? 賞賛にも批判にも本質的な違いはないからだ。常に我が心をいましめるのだ。
訳のほうはかなり意訳っぽくなってしまいましたが、こういうことです。章の最後には、我が身をいとおしむ人物にこそ安心して天下を任せることが出来る。と結んでいます。
「愛以身為天下、如可以寄天下矣」
ここだけを切り取ってしまうと、私利私欲にまみれた我が身可愛や・・・という、今の為政者そのものといった感じの人を想像してしまうわけですが、真の意味はそうではありません。なんというんでしょうか? 物質的なものではなく、精神的とでも言うのでしょうか。
批判にも賞賛にも慢心せず、内面を磨き続ける人・・・そういうことなんでしょうね。いやはや、これの真逆を地で行ってる人のなんと多い事か。
なんですか? 恩着せ何とやらですか? そういうのもありましたねw
参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年
ほなまた! 失礼
|彡. サッ!!