『老子』を読み返してみた 7.身を退けて先んず
|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。
『老子』を読み返してみた7回目、第7章です。
是以聖人退其身而身先。外其身而身存。不以其無私与。故能成其私。
是を以って聖人はその身を退けて身を先んじ、その身を外にして身存す。その私なきを以ってにあらずや、故に能くその私を成す。
『老子』第7章
訳:聖人は自ら先に立たないので、かえって人に立てられる。自分を度外視してかかるので、かえって人から重んぜられる。自分を捨ててかかるので、かえって自分を生かすことができる。
とかく先頭に立つと、周りから足を引っ張られたり何やらでやりにくいし、引きずり降ろされることすら有る。だったら二歩も三歩も引いて三番手ぐらいを悠々と走って行こう。という戦略・・・これ、マラソンの駆け引きにも似てますね。
あえて三番手ぐらいのポジションに居て、風の直撃を避ける事によって走りやすくしようという、あの作戦です。なかなかしたたかではないですか。
「かえって人から立てられる」だの「かえって人から重んじられる」だのは、私の解釈ではいわゆる「偽装用のオブラート」だと考えています。じつは考えていることは、もうちょっとずる賢くて、先に走らせとけば・・・そのうちコケよるぞ。バテよるぞ。これなのかも知れません。
これをストレートに表現するのも、なかなか憚られるので、あえて綺麗な表現にしてみました・・・みたいな。一見は人格者・・・でもなかなかに計算高い。したたかな処世の知恵と言えます。『老子』にはこのように、随所に逞しい生き方についての言及があります。
さて、次はどんな格言がくるのでしょうか?
参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年
ほなまた! 失礼!
|彡. サッ!!