『老子』を読み返してみた・・・39.貴賤もただの相対
|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。
今回は為政者の自戒すべきことについて・・・いわば心構えというか教訓を述べた章になります。
『老子』第39章
故必貴而以賤為本、必高矣而以下為基。夫是以候王自謂孤寡不穀。
故に必ず貴きは賤しきを以て本となし、必ず高きは下(ひく)きを以て基となす。夫れここを以て候王は自ら孤、寡、不穀と謂う。
訳:貴いものは賤しいものがあるからこそ貴い。高いものは低いものがあるからこそ高い。だから王たる者も、自身を孤とか寡とか不穀と呼んでへりくだるのである。
・・・謙虚であれ! 一言で言うとこうなるでしょうか? 所詮物事は相対評価に過ぎず、貴方が高みでふんぞり返って居られるのは誰のおかげか? それを忘れるな。ということですね。
よくできた人はそれが良く解っているし、いつ何かの加減で自分が低きに落ちるかも知れないと、その可能性を考えています。だからこそ自らへりくだることも知っている。そういうことでしょうね。
いつでもどこでも、いつまでも聖人君子・・・そんな人間など居るわけがないのですから。それを分からないのか分かりたくないのか? そんな傲慢な人々が多すぎる気がします。
上級国民さま! 聞いてるか??
参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年

ほなまた! 失礼!
|彡. サッ!!


