近未来を予測した記事が的確で怖すぎる


|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。


 
 最近、FIREに関する記事が多く見られるのは、なにかのキャンペーンなんでしょうか? FIRE民が増えたら、ただでさえ不足してる労働力がさらに居なくなるじゃないか! けしからん!ヽ(`Д´#)ノ という趣旨の記事が特に増えているような気がします。


参考
「FIRE」する人が増えたら社会はどうなる? 労働力はAIでまかなえるのか

 FIREで労働力で抜けてしまったぶんは、AIで埋め合わせ出来ないか?というのが主題になっていますが、たしかに、飲食店の場面などでも接客ロボの活用がすすめば、かなりの部分カバーできそうではありますが・・・。
 こうなってくると、人間の出番は高度の創作性や独創性という、AIに指令を出す立場のみという形に限りなく近づいていきそうです。つまり、AIの監督が出来ない人間は、どうぞ労働市場からご退場下さい・・・意味するところはそれですから、働きたいのに場所がないという失業も増えてきそうですね。
 ただ、そうそうすぐにそうなるわけではないから・・・その時まではみんな働いてください。どうにかこうにか、そういう落とし所に纏めようとしているようですが。



 労働力がさほど要らない時代を見越して、家庭をもたない早期リタイアを選ぶ人が増えて来るのも一つの先進的かつ合理的な選択なのでしょう。ただ、問題はその端境期をどう乗り切るのか? 



そういうところでみんなが騒いでいる。そんなところだと思います。




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国会信頼度? 日本の数字が気になるが・・・?


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 OECDはたしか30か国でしたっけ? そこで国会の信頼度28位? 日本の国会? 
どうやら違うようでした。



参考

 文字通り、国会がどれだけ自国民の信頼を得ているかを数値化してランキングしたものですが、ハッキリ言って、よそ様の数字を見て「日本は安心だ」という気持ちになれないのが、なんとも複雑な所です。


 なぜか? なんと日本と米国はそろってランク外・・・この手の指数の集計を行っていないので、そもそも評価のしようがない。というのが真相のようです。正直、これでは比較のしようがない。というか、比較されたら困るのでそもそも集計してないとか?
 なので、このニュースだけを見てどうのこうのというのは、ちょっとアンフェアということになってしまいますね。



仮に、まっとうに集計したとすれば一体どのくらいのランクになるんでしょう? 考えるほどに憂鬱になってしまいますね。







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相続小ネタ集 37.トンデモ解説?相続土地国庫帰属制度の期待効能


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 「相続した土地、もし要らなければ国が引き取ります」そういうわけで始まったこちらの制度。いろいろ邪推すると・・・「ヘンな人に売り払うぐらいならちょうだい!」そういう風にも読み取れます。



参考



 たとえば、マツタケやタケノコが獲れて儲かるわけでもない。そんな何の取柄もない山林でも、実は良い水源だったりして、それを安易に売ってしまうと、外国資本に日本の水資源を奪われることになってしまいます。
 我が国の水を守る。そういうところからこの制度がスタートしたのかどうかはわかりませんが、副次的な効果としてこういうのも考えられますね。


 (-ω-;)・・・しかし、当面数年分の管理料としてお金を取られるし、受け取ってもらえるための条件などがきつくて(たとえば産廃などが埋まってたりするとNG)なかなか利用が進んでいないのが現状。結局、手放す方はマイナスですからね。
 


使いやすい制度にして、国土を守る一助になるよう期待したいものです。



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『老子』を読み返してみた・・・25.人間の小ささよ


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 今回は『老子』の25章です。今日は「道」とはなにか? 世界観あるいは宇宙観そういった感じの章になります。



『老子』第25章



人法地、地法天、天法道、道法自然。
人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。





人間は大地を規範として生き、地は天を規範として生き、天は道を規範として生きている。しかし、道は他の何物も規範とせず、それ自身を規範として存在する。



 ・・・世界の最高規範であるものは「道」であり、それはすなわち「自然」であると言います。この「自然」というのは、宇宙に読み替えることが出来るでしょう。偉大な天地と言えど、それは「自然」という上位の存在に依拠しているし、ましてや人間など・・・。
 非常に大きい世界観ですね。『老子』には、いくつも人間世界のちっぽけさを強調する章がありますが、この25章もそのひとつです。



 くれぐれも、万物の霊長などと思いあがっていてはいけない。所詮は自然のほんのちっぽけな一部分。宇宙のほんのちっぽけな一部分・・・そう考えると、何だか日々の悩み事がなんとなく馬鹿馬鹿しくも思えてきますね。



こんな壮大な観念を生み出した古代中国人の精神性を、我々も見習うべきかも知れませんし、拝金主義がはびこる現代の中国人も、この境地に立ち返っていくべきでしょう。 




参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年






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