『老子』を読み返してみた・・・70.老子のぼやき
|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。
これまで軍略・戦略、政策、為政者の心構え、生き残り戦略など・・・様々な分野で金言を残してきた老子ですが、ついに70章で本音を吐露。今回は哲学者・求道者のボヤきの章になります。いったいどんなボヤきなんでしょうか?
『老子』第70章
吾言甚易知也、甚易行也。而人莫之能知也、莫之能行也。・・・中略・・・
知我者希、則我貴矣。是以聖人被褐而懐玉。
吾が言は甚だ知り易く、甚だ行い易し。しかれども人これを能く知るなく、これを能く行うなし。・・・中略・・・
我を知る者希(まれ)なれば、則ち我貴し。ここを以て聖人は褐(かつ)を被(き)て玉を懐く。
訳:私の説は極めてわかりやすく、実行もしやすい。なのに理解する者もなく、実践する者もない。・・・中略・・・
わが説を理解する者がいないということは、すなわち私の説が貴重だということだ。聖人とはボロを着つつ玉を懐くものなのだ。
・・・こんな簡単なことも理解できんのか。実践できんのか。それなら結構。私は聖人。「てめーらとは違うんだよ」という心の声がダダ漏れになっている章ですね。
なんというか非常に人間くさい章になりました。正論を言っても疎外される。はたまた誤解を受け冷や飯を食わされる。目覚めた人間、真理を追及する人間の孤独と悲哀。そして怒りがにじみ出ています。これって、現代社会にも当たり前に見られる事象ですね。
真実・真理を語るもの者を無理やり「あっち行け」と隅に押しやるような、近年の既存メディアの姿勢などがまさにそれではないでしょうか? 期せずしてそれを連想してしまった次第です。
不都合な真理・真実は嫌がられる。誰かが指摘しなければならないのですが、それをやった者は貧乏くじを引かされる。なんだかな・・・・・・😎
参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年

ほなまた! 失礼!
|彡. サッ!!


