『老子』を読み返してみた・・・63.怨みには徳で返す
|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。
今日は・・・そんなことの出来る人はなかなか居ないだろうな。そんなテーマです。許すという行為はなんなのか? 誰の為で誰が得をするのか? そういう所を突き詰めた章と言えそうです。
『老子』第63章
為無為、事無事、味無味。大小多少、報怨以徳。図難其乎其易也、為大乎其細也。
無為を為し、無事を事とし、無味を味わう。大小多少、怨みに報いるに徳を以ってす。名塚式をその易きに図り、大をその細に為す。
訳:無為を旨とし、無事を良しとし、無味を味わうように、なにごとも恬淡たる態度でのぞむ。怨みには徳を以って報いる。困難はまだ容易なうちに処理し、大事は小事のうちに収拾する。
あまり物事にこだわらない「さばさば」の勧めというところでしょうか? しかし、怨みについては、その怨みを晴らす方向で動く人が圧倒的なのが普通ですが、徳を以って対処。つまり許すというのはなかなか出来る事ではありません。特に「千年の恨み」だとか常々言ってる某国では・・・・・・やっぱりこれは無理なんでしょうね。
もしかして、こういうさばさばした人物だからこそ、小さな異変にいち早く気付き、手を打てる。そういう心の余裕がうまれて来るのかも知れません。
終戦直後に「怨みには徳で」そう言って許したのが・・・後の初代台湾総統となる蒋介石だったそうです。この言葉が有ったからこそ、今日の良好な日台関係があるのでしょうね😎
参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年
ほなまた! 失礼!
|彡. サッ!!