『老子』を読み返してみた・・・60.小鮮を烹るがごとし

行政書士sukekiyo-kun

|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。



 またまた今回の60章も統治というテーマについてです。これでもかというぐらいに同じテーマが続きますが「小鮮を烹るがごとし」という言葉は、もしかしたら聞いたことがあるかたが居るかも知れません。



『老子』第60章
治大国若烹小鮮。以道莅天下、其鬼不神。非其鬼不神也、其神不傷人也。


大国を治るは小鮮を烹るがごとし。道を以って天下に莅(のぞ)めば、その鬼、神ならず。その鬼、神ならざるに非ず、その神、人を傷(やぶ)らず。



訳:国を治めるのは小魚を煮るようなものだ。むやみにかきまわしてはいけない。無為の道をもって天下を治めれば、鬼神も祟りをなさなくなる。いや、祟りをなさないのではい。祟りをなしても人に害を及ぼさないのである。

 


 ここでは、「神」は「祟る」という動詞に置き換えて読みます。「無為の道」とは何も仕事をしないという意味ではないことは、すでにお分かりかと思います。よく老子好きが「無為」にかこつけて仕事をサボるのは本末転倒なので念のため。

 その無為の対極にある「為」というのは、限定的に「自身に利益を誘導する。そのような策を弄する」という意味で考えたほうがいいでしょう。さて、このように考えてみると・・・・・・またまたあの顔この顔。お前らは国賊か!という人々が浮かんでくることでしょう。

 

 シンプルな統治=無為と考えるべきなのでしょうね。景気が悪ければシンプルに減税。それでいいはずだし、そんな事は中学生の社会科のテキストに書いてるレベルです。にもかかわらず、わざわざややこしい給付金・・・・・・これは無為の趣旨から遠く離れるものです。なぜあえてややこしい事をやりたがるの? 


 

まあ、理由は単純明快なんですけどね😎



参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年

ほなまた! 失礼!
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