『老子』を読み返してみた・・・51.支配者面をしない

行政書士sukekiyo-kun

|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。



 今回の章は、身近に例えれば親子関係。そこからさらに発展していけば、支配者の在り方にまで言及した章と言えそうです。
 



『老子』第51章
道生之、畜之、長之、遂之、亭之、毒之、養之、覆之。生而弗有也、為而弗恃也、長而弗幸也。


道これを生じ、これを養い、これを長じ、これを遂し、これを亭し、これを毒し、これを養い、これを覆う。生じて有せず、為して恃まず、長じて宰せず


訳:道は万物を生み、育て、発展させ、完成させ、安定させ、養育し、保護する。しかし、生んでも所有せず、発展させても自慢にせず、育てても支配しない。


 

 卑近な例えですが、よく親子喧嘩で・・・

「だれのお陰で生まれてきたと思ってるんだ」

「別に生んでくれなんて頼んでない」


 こんな応酬は有りませんか? この章を読んで最初に思いついたのがこれでした。子は親にとって自身の分身のようなものかも知れませんが,、もっと言えば自分の一部なのかも知れませんが、自分の所有物と考えてはいけません。

 しかし、見たところ、古くからの儒教的道徳の価値観にとらわれた人は、よくこの手の誤りを犯しがちになるようです。これを統治の面にまで延長していけば、支配者の在り方。その姿勢・・・そういったものにも例えることは可能でしょう。



 民が政府のために存在するんじゃない。政府が民のために存在する。その基本を忘れてはいけない・・・そのような戒めを説いているように思えますね。



老子の爪の垢を煎じて飲ませたい人は・・・いっぱい居ますね😎



参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年

ほなまた! 失礼!
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