『老子』を読み返してみた・・・50.死地に付け込まれない人
|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。
いかによりよく生きるか。無事に天寿を全うできるか・・・それが乱世を生きる羽目になった人々の切実な願いです。現代も立派な乱世だと言えるでしょう。
『老子』第50章
善執生者、陵行不辟兕虎、入軍不被甲兵。兕無所投其角、虎無所措其爪、兵無所容其刃。夫何故也。以其無死地焉。
善く生を執る者は、陵行して兕虎(じこ)を避けず、軍に入りて甲兵を被らず。兕もその角を投ずる所なく、虎もその爪を措(お)く所なく、兵もその刃を容れる所なし。それ何の故ぞ。その死地なきを以ってなり。
訳:生を全うする者は、山野を旅しても猛獣を避けようとしない。戦に出ても甲冑をまとおうとしない。犀も角を突き立てようがなく、虎も爪のたてようがない。また刃も傷を負わせようがない。なぜならば、そういう人物に死の入り込む余地がないからだ。
せっかくの天寿を損なうのは、避けよう、守ろうと思う意識が邪魔をしてしまうこと。そのような主旨でしょうか。いたずらに防備を固めるのは老子流にいえば「作為」にあたります。そして老子の主張は「作為や人為は極力排除し、自然のままでいけ」です。
甲冑や盾を用意することにこだわるのは、そもそも戦にならないようにふるまう事に比べると、どうしても次善の策。もっといえば下の策である・・・そう言えるでしょう。現実世界に当て嵌めるなら、外交努力にまさるものはなし。という事でしょうね。
戦というものこそ、最大最悪の作為と人為なのだから・・・それを防ごうと思ったら? 自然のありように見倣う。
それを体現するためのキーは無心に無欲。一番いけないのは世俗の価値観にまみれ、こざかしい人智を振りかざす事。そういうことなんでしょうか。
こういうのを体現出来た人って、なぜか「宇宙人」とか揶揄されるのが浮世の常ではありますが・・・😎
参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年

ほなまた! 失礼!
|彡. サッ!!


