『老子』を読み返してみた・・・47.リモート推奨?
|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。
今回は現代社会に当て嵌めてみた時に、非常におもしろい章と言えそうです。まさか? 数千年前にリモートワークとやらを提唱していたのでしょうか?
『老子』第47章
是以聖人不行而知、不見而名、弗為而成。
ここを以て聖人は行かずして知り、見ずして名(あきら)かに、為さずして成る。
訳:だから成人は外に出掛けて行かずとも物事を理解し、目で見ずして物事を識別し、作為を弄さずして成果を収める。
・・・見るからに「ひきこもりつつも成果を上げる極意」そんな風にも読み取れますね。まあ、まともにちゃんと見てるのか? それすらも良くわからないような視察に出掛けては、はしゃいだ挙句に豪遊疑惑・・・しかも血税を使ってです。それよりも数段素晴らしいやり方ではないでしょうか?
出掛けて行って理解し、目で見て確認と識別・・・これの積み重ねはつまり「経験則」とも呼べるでしょうか。しかし、経験よりも直感。直感が研ぎ澄まされていれば、出掛ける事もなく、目で見る事もなく物事の本質を理解できる。
そして、こういうのは一見すると「なにもやってない」という風にすら見えてしまいます。しかし、結果はきっちり出している。まさに不思議ちゃんですね。
考えるな、感じろ。そういう風にもとれる章かも知れません。
参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年

ほなまた! 失礼!
|彡. サッ!!


