『老子』を読み返してみた・・・46.足るを忘れたらどうなる?
|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。
一章飛ばしの過去の回でたしか「足るを知る」というテーマが出て来ました。そこから「訥弁は雄弁」ときて、この46章では再び「足るを知る」お話。このように色んなテーマが連続しているというよりも、飛び飛びになっているのがこの書の特徴です。
『老子』第46章
罪莫大于可欲、禍莫大于不知足、咎莫惨于欲得。
罪は欲すべきよりも大なるものはなく、禍は足るを知らざるよりも大なるものはなく、咎は欲得よりも惨なるはなし。
訳:世の最大の罪は飽くなき欲望に起因し、最大の災厄は足ることを知らぬ心に起因し、最大の咎は利益をむさぼる心に起因している。
・・・欲望のおもむくまま、欲望を満たすために突っ走る。このように生きれば、必ずどこかで道を踏み外す。そういう警告の章になっています。足るを知ることがいかに大事か、ということを説いていますね。まあ、個人単位でそれをやられたところで、その人が自滅の道を辿るだけなので、こちらとしては痛くもかゆくもありませんが・・・。
やっかいなのは。これが企業の経営者。あるいはもっと大きな単位にすれば、国家の権力者。こういった人たちが道を踏み外してしまったらどうなるか? 想像するのも怖いですね。地球の歴史上、そんな例はいくつも転がっているし・・・。
一人でコケるなら、まあお気の毒なお話なんですが・・・くれぐれも万や億単位の他人を巻き込むのは御免こうむりたいものです。
参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年
ほなまた! 失礼!
|彡. サッ!!