『老子』を読み返してみた・・・35.たとえご馳走でも
|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。
今回は「本当に役に立つものは?」そういった感じの章になると思います。いわば、表面の見掛け的なものが、いかに空疎なものであるか・・・本質や内面を磨く。それの大切さを説いた章だと思います。
『老子』第35章
楽与餌、過客止。故道之出言也、曰、淡呵其無味也。・・・中略・・・用之不可既也。
楽と餌は、過客止まる。故に道の言より出ずるや、曰く、淡としてそれ味なきなり。・・・中略・・・これを用うれども既(つく)すべからず。
訳:心地よい音楽、美味しい食事といえど、ほんのしばらく道行く人の足を止めるのみだ。ところが、「道」とは語ったとしても味もそっけもない。・・・中略・・・どんなに使っても尽きることがないのだ。
・・・いわば虚栄のバカバカしさと、流行りのルッキズムに対するアンチテーゼとも言えますね。あくまでも本質を重視。すなわち大自然、あるいはその法則にちゃんと従ったものであれば、むしろそんな事は気にする必要はない。そう言い切った章と言えます。
つまり、理にかなった行動や心というものは最強。やたら「目に見えるもの」ばかりを強調したがるのは「内面がなってない証拠」そういうことですね。
最近、目に見える物質的豊かさよりも、内面の充実を重視するムーブも出て来ましたね。ちょっと期待してもいいんでしょうか?
参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年
ほなまた! 失礼!
|彡. サッ!!