『老子』を読み返してみた・・・31.兵は不祥の器


|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。



 今回も軍事に言及した章と言えますが、ちょっと前回までとは違います。『老子』の世界における戦争とは、まったく許されないというものでもありません。人類とは争うもの。だから戦争が起こるのは、悲しいが仕方がない・・・しかし、頻度も規模も最小限であるべき。目標を達成したらさっさと矛を収めるべし。そういう考え方だと言えます。
 



『老子』第31章
兵者不祥之器也。不得巳而用之。恬淡為上、勿美也。若美之、是楽殺人也。夫楽殺人、不可以得志于天下矣。



兵は不祥の器なり。やむを得ずしてこれを用う。恬淡を上となし、美とすることなかれ。若し美とすれば、是れ殺人を楽しむ也。夫れ殺人を楽しむは、以って志を天下に得べからず



訳:戦は縁起が悪く、君子の好むものにあらず。やむなく用いる手段だ。あくまでも無欲に徹し、勝っても賛美しない。もし賛美するなら、それは人殺しを楽しむということだ。人殺しを楽しむ。これでは天下に志を得ることはできない。




 ・・・恬淡(てんたん)とは無欲の意味です。はてさて、どこぞの大統領の頭をはたきながら、百回言い聞かせてやりたい言葉です。「一将功なりて万骨枯る」という言葉もありますね。一人の権力者の栄達のために、無数の民が犠牲になる構造は今の世も変わりません。そういう現実を知っている人には、戦争が不祥の器なのは間違いありません。


 何かにつけて外交や話し合いよりも好戦的な態度をとり、なにか有れば攻め込むぞ・・・そんな姿勢を簡単にちらつかせる指導者も、どことなく頼りない感じもしますね。何をそんなにビビってるの?って感じですね。自国の過去にこんな素晴らしい哲学が有ったというのに、なぜかの国の指導者も含めて学ばないのでしょうか? 本当に不思議です。




不祥の器にジャブジャブと金をつぎ込むナンセンスな風潮に、終わりが来ますように・・・。



参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年



ほなまた! 失礼!
|彡. サッ!!