『老子』を読み返してみた・・・27.善く行く者は轍迹なし
|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。
今回は『老子』の27章です。この章も為政者の心得を説いたものですが、一般人の処世にも参考になる部分が非常に多い、そんな章です。
『老子』第27章
善行者無轍迹。善言者無瑕適。善数者不用籌策。善閉者無関籥而不可啓也。善結者無縄約而不可解也。
善く行く者は轍迹なし。善く言う者は瑕適なし。善く数うる者は籌策(そろばんの意)を用いず。善く閉ずる者は関籥(鍵の意)なくして啓くべからず。善く結ぶ者は縄約なくして解くべからず。
訳
行動するにしても跡を残さない。発言するにも隙がない。計算するにもそろばんを必要としない。戸締りに鍵を使わずとも開けられない。梱包に縄を使わずとも開封されることはない。
・・・戸締りや梱包のくだりは、隙を見せるとすぐ泥棒に目を付けられたり、そんな現代では無防備そのものに映ってしまいます。しかし、老子の掲げる理想はそれこそ、吉本新喜劇の「隙があったらかかってこんかい!」の本当の隙なしバージョンといえばわかりやすいでしょうか?
発言にも隙はない。代わりに行動(仕事)の跡もこれといった物は残っていない。はて? いったい何の功績の人だっけ? なんかよくわからんが、この人が居ると何となく上手くいく。そうであるからオラついて功績を猛アピールする必要もない。だから、他人に妬まれる機会もまずない。
なんとなくいい人で、うまく行ってたなぁ・・・( ゚ ρ ゚ )ボー
あとになってそのように思い出されるような貢献が一番確実だし、魑魅魍魎はびこるこの世を無事にやっていく秘訣なのかも知れませんね。
参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年
ほなまた! 失礼
|彡. サッ!!