『老子』を読み返してみた・・・5. 聖人は不仁なり

|ω・) ソーッ・・・ 皆さん、ご機嫌よろしゅうに。



 実は『老子』の中には、一瞬ドキッとさせるような記述が沢山あります。この第5章の始まりもそんな感じで・・・


天地不仁。以万物為蒭狗。聖人不仁。以百姓為蒭狗。
天地は不仁なり。万物を以って蒭狗(すうく)と為す。聖人は不仁なり。百姓(人民)を以って蒭狗と為す。


【訳】天地は非情である。万物を生みっぱなしにして顧みない。聖人は非情である。人民を使い捨てにして顧みない。



 いかがでしょう? 随分と酷い発言に見えませんか? 人民を使い捨てにして・・・・・・もしや? きょうびの政治屋のセンセイ方のことを言ってるんでしょうか? こういうところが『老子』嫌い派の拠り所だったりします。しかし、その続き・・・
 


多聞数窮。不若守于中。
多聞なれば数(たびたび)窮す。中を守るに若(し)かず。



【訳】人の知恵は増えれば増えるほど行き詰る。だから作為を捨てて虚心に徹すべきである。『老子』第5章


 これを言いたいがための前振りに過ぎなかった、ということです。さらに、ここにくるまでの道中で、ふいご(鍛冶屋で使う空気を送って火力を上げる装置)が役に立つのは、中が虚(空洞)だから。なので沢山の空気を送れる・・・と述べています。
 しょうもない知識や何やらで頭でっかちになってしまうと、糞詰まりを起こしてしまうよ・・・という事でしょうか? たしかに、知れば知るほどがんじがらめに縛られてしまって、かえって動きづらい。そんなことは珍しくありません。




人民を使い捨て・・・・・・ここのところばっかり実践しているお人のなんと多いことか!




参考文献:守屋 洋著『新釈 老子』
PHP文庫1988年






ほなまた! 失礼!
|彡. サッ!!